1997 年 2 月 13 日
「ありがとう。クラッシュしてくれて。」
written by Kenzi NOIKE
かららん。
ハードディスクの回転が止まると同時に、画面も止まった。
ぼくのパソコンは、クラッシュしてしまった。
連日連夜の疲労で、復旧する気力もなかったぼくは、そのまま倒れ込んでしまった。
「...... 。」
ふと、目を開けると、窓の外は上天気だった。ゆっくりと雲が流れていく。
「外の空気でも吸いに行くか... 」
ぼくは、しばらくぶりに散歩に出た。
文字ばかりのディスプレイをここ数日見続けていたぼくにとって、晴れた外はまぶしいくらいだった。
「そういえば、しばらく河原に行ってないな... 」
幼い頃の遊び場であった河原には、もう、十数年行っていない。
ぼくは、しばらくぶりに河原に行ってみることにした。
たよりなかったコンクリの橋は、みごとな高速道路の鉄橋になっていたが、
橋のたもとのパン屋は、そのままの姿でそこにあった。
「パン屋のおばちゃんは、元気だろうか... 。」
ぼくは、おもてに自動販売機があるにもかかわらず、缶コーヒーをください、
と言って店の中に入っていった。
「ほぉい。今日はあったかいから、冷たいのかい?」
よかった。おばちゃんも健在だ。
土手に上がって、川を見おろした。
野球をする子、サッカーをする子、犬を散歩させている女の子、赤ちゃんを
抱いて川をながめるお母さん、尺八を練習するおじいさん... 。
十数年前とかわらぬ風景がそこにあった。
ぷしゅっ。
ぼくは、土手の芝生に腰を掛け、缶コーヒーを飲み始めた。
こんなにおだやかな気分になったのは、しばらくぶりだ。
すさんでしまったのは、いつからだろう... 。
「ストライーク! バッターアウト!」
ぼくのパソコンは、ぼくをここに来させるために... おだやか気持ちを取り
戻させるために、クラッシュしてくれたのかもしれないな... 。
野球を見ながら、ふと、そんなことを考えた。
ここしばらく働かせすぎちゃったしな... 休みたかったのかもしれないな... 。
そんなことも考えた。
缶コーヒーを飲み終わり、川辺までおりてみた。
こどもたちが、糸に結んだ細切りのスルメイカでざりがにを釣っている。
「まだいるんだねー」
突然の声に、こどもたちはびっくりして振り返ったが、すぐに、
「今日は、たまごを持ってるのがとれたんだっ!」
うれしそうに「今日の成果」を見せてくれた。
「おっ、すごいぞ、やったな!」
ぼくは、いっしょになって喜んだ。ほんとに、うれしかった。
まもなく日が暮れ、区役所の「おうちへ帰りましょう」が流れはじめた。
空が赤い。川に映る夕日も赤い。夕焼けを見るのも、しばらくぶりだった。
帰り道、今度の休みは釣りに来よう、ざりがに採りの方がいいかな、あ、で
も、歳が歳だしなぁ... そんなことを考えながら、ひさしぶりにわくわくし
ていた。
「ありがとう、ぼくのパソコン。クラッシュしてくれて... 。」
ぼくは、ぼく想いのパソコンに感謝した。
急に休みをくれた、ぼく想いのパソコンに感謝した。
おしまい。
このミニストーリーは、1997 年 2 月 13 日に、パソコン通信 Synergy BBS にて発表したものです。
これを公表するにあたって、Synergy BBS システムオペレータ Rave さんに許可をいただいておりませんが、
著作権保持者である NOIKE の判断にて問題なしと考えたため、公表しました。
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