目次

12 Psychological and Linguistic Connections (心理学と言語学の関連)

12.1 Gestalt Theory and Visual Form Perception (Gestalt 理論と視覚の形状知覚)
12.2 Preference Rules in Linguistic Theory (言語学理論における選好規則)
12.3 A Deep Parallel Between Music and Language (音楽と言語との間の深並行性)
12.4 A Remark on Brain Localization (脳の機能局在化についてのひとつの所見)
12.5 Music Theory as a Cognitive Science (認知科学としての音楽理論)

とりあえず,チョクヤキスト:


対訳メモ:
(注意)ここでいう「音節」,「語」などは, 学校の国語の時間に習う「音節」,「語」とは,異なる概念であることに注意すること.
さらに,その上で,日本語の「音節」を思い浮かべてはよくなく, 英語の「音節」を想定した話である.

syllable : 音節
feet : 足節(?)
word : 語
stress : 発話での,強勢.強勢アクセント?


12
Psychological and Linguistic Connections
心理学と言語学との関連

担当: 野池賢二

3, 4, 7, 9 章で詳しく述べた形式的理論と, 心理学,言語学の既存の理論との関連を, いくつかの方法で述べる.

[Neisser (1967)] (pp. 245-248 (241? どれ?))は, 生成言語学 (generative linguistics) と, 1920 年代から 1940 年代の Gestalt 心理学 (the Gestalt psychology) との間に, 精神的な面における重要な類似性があることを指摘した.
われわれの理論は生成言語学と同じような一般的な目標をもって考え出された.

  1. (ほとんど意識されていない)人間の知識の概形の説明を与える
  2. 意図(intuition)の,ある特定のクラスの特徴を詳述する
  3. この知識を,「生来のもの(先天的)」と,「学習したもの(後天的)」とに分ける
われわれの理論は,Neisser によって論じられたある種の認知理論の別の実例(instance)である.
この章では, 生成言語学と Gestalt 心理学との間の関連を論じることに 音楽の理論を使うことになるだろう.
12.1 節では,3 章で述べた, Musical Group 規則と, 視覚における形の知覚に関する処理 との間の類似性をレビューする. これは Gestalt 理論の欠点のいくつかが, 現代の言語学 と現在の音楽理論 からみて, どのようにカバーできるのか,その議論を引き出す.

1 章で少し触れたように, 音楽理論と 言語学の 著しい違いは,変形生成文法 とは性質の異なる Preference Rule が音楽理論の中には存在することである.
12.2 節では, 言語学と音楽理論とは,さほど違いはないのかもしれないということをほのめかす. Preference Rule による形式化は, 直観力のある解を与えてくれるようにみえるという, 言語学理論で現在議論されていることのいくつかの例を示す.

12.3 節では, 音楽構造と, 言語学構造との間の並列性について述べる.


12.1
Gestalt Theory and Visual Form Perception
Gestalt 理論と視覚の形状知覚

視覚と聴覚のグルーピングの並列性ついては,
3.2, 3.4 で指摘した. このような並列性は,[Werthaimer (1923)] によって観測され, [Köhler (1929)] によって, 似たような生理学的な組織化の結果である, と推量された.

[Lashley (1951)] は, 同じような心的表現が, 空間的シーケンス記憶と時間的なシーケンス記憶の両者を与えている, と論じた.

しかし系統的に論ずる心理学者はいなかったので (証拠を列挙するだけだったので), われわれは自分たちを, 時間的な組織化のひとつのタイプの形式的な理論を開発し, より厳密に並列性を検査する,という位置づけにした.

[Wertheimer (1923)]は, 図 3.6 - 3.13 によく似た図を示して,これらの判定に含まれる三つの一般的な特徴をほのめかした.
  1. 「より近接しているもの」,あるいは,「より類似しているもの」は,グルーピング判定を強める.
  2. 原則が衝突するとき,判定は,少し確かではなくなる.
  3. ある条件下では,ある法則は別の法則を override できる.
われわれが Preference rule による形式化を行う動機となった特徴である.










同じような観察は [Koffka (1935)] の 形の議論(the figure-ground opposition,three-dimensionality など) の全体にわたって見出せる. 見る人の intention による影響である,と示した. 彼らは,われわれが 3.2 節に示したのと同じくらいの度合いの 非形式化で規則を示した.
3.3 節にあるような,より形式化した規則は見られない.

Wertheimer と Koffka は,Gestalt 心理学の基本的な主張である 「知覚は,他の心的働きと同様に,組織化の動的処理である.」ということを示した.
動的処理とは,ある特定の部分の組織化するときでも, 知覚している周辺の要素も影響を受けているかもしれない,ということである.
彼らは,この主張のための二つの重要な事柄を証明することに苦労している.
ひとつは,「知覚は,環境の中の何かの単なる生成物ではない」ということで, 見る人は,無意識に,知覚した結果を出すときに, その時点でのあるひとつの結果を出している,ということである.
ふたつめは,知覚されている領域全体は, それぞれを分離して得られる知覚結果を累積することでは得られない, ということである.

知覚の Gestalt 評価判断の基礎を形作る一般的で根源的な法則は, 「Law of Prägnanz」として Wertheimer によって定式化されている. [Koffka (1935)] の中で,それは簡単に説明されている.
心理学的な組織化は,いつも,優勢な状態と同じくらい"good"になるようになる. ここでいう"good"は,未定義である. それは, 規則性(regularity), 対称性(symmetry), 簡潔性(simplicity) のような属性を受け入れる.
言い換えると, Koffka がデモした視覚的の知覚のたくさんの法則は,"good" な組織化の概念の展開 なのである.

音楽グループの生成理論の Preference Rule の要素は, 個別の規則の適用と相互に作用しているという点で, Wertheimer と Koffka の 視覚の評価判断に似ている. それはまた,Gestalt 理論が記述している属性全般を持っている.
第一に, それは内観(mentalistic)である. 音楽的表層において,いかなる直接的方法においても, 知覚されたグルーピングは,現在起こっていることではない.
実際に, グルーピングがオーバーラップしているとき, 表層構造でのあるイベントは,深層構造においては二度現れるので, グループ構造のイベントは,音楽的表層と一対一に対応していない.
グルーピング elision(音脱落)において, ひとつのイベントは,グルーピング構造のなかに現れる,すなわち,音楽的表層からは欠落する.
これらの非対応は, グルーピング構造が心的に構成され,無意識的な規則によって音楽的表層に関連付けられることによる, と主張することによって可能である.

しかし,グルーピング理論は.単なる心的なものではない. グルーピング構造は,個々のパーツから直接組み上げられることができない, という点で,特に Gestalt 的である.
GPR 1 , 2 , 3 は local detail であり,それは否定できない重要さを持つが, GPR 4 , 5 , 6 によって override されうる. その例が モーツァルト G Minor Symphony (3.19 の tr8-9) である. low-level local detail が parallelism によって override されている.

<!-- <bgsound src="K550.mid" loop="0"> --> (本来は,弦楽)







音楽文法の他の要素は, 音楽知覚のためにはグローバルな考慮が必須であることをより明確にしている. たとえば,シンコペーションにおいて,local metrical detail の Preference Rule は, metrical の Well-formedness Rule によって overrice されうる. time-span のヘッドの選択では,大きなレベルでのケーデンス(カデンツ,終止形)が考慮される. トップダウンで構築される prolongation reduction には,グローバルな考慮が, 広く行きわたっている.

Preference Rule の機能は,最大安定的な構造を選び出すことである. 「音楽表層が知覚的に "good" になる構造の割り当てをするものである」と定義できる. したがって,Preference Rule は, 「Law of Prägnanz」を明示的にしたものとなる.



12.2
Preference Rules in Linguistic Theory
言語学理論における選好規則

ここで開発した生成音楽理論は,生成言語学とはあまり似ていないようにみえる. この節では,直接は観測されない,ある形式的な関係について指摘する.

二つの理論の方法論としての違いは,兆候となるものである. 言語理論のほうは,文法的なこと(grammaticality)についてよく考慮されている. 音楽理論のほうは,文法的な構造上で競合するときの選好(preference)についてよく考慮されている. これらの規則は,枝分かれ構造,階層構造に落ち着く(構文における句構造規則のように)という点, あるいは, 枝分かれ構造の許される歪みを特徴付ける(変形規則のように)という点でよく似ている. 言語学文法における Well-formedness Rule (適格規則) は, 音素や構文と意味形式との間のマッチングを適格にとる. 音楽文法における Well-formedness Rule よりも, 言語学文法における Well-formedness Rule は大きな役割を果たす.
ここで,音楽における選好規則と類似した規則体系が, 言語理論にも含まれているのかどうか, という疑問が持ち上がる. それは, 言語学の中で議論されてきたたくさんの現象が そのような規則にための適切な属性を持つ,ということになる.
これらについて,下で述べる.

Relative Scope of Quantifiers
数量詞の相対的な範囲

構文形式から意味表現への関連付け規則の中には, 数量詞(every, all, some, many など)と,その論理的な範囲との対応付けを 確定するサブシステムが存在する.

12.1
a. Every person in this room knows at least two languages.
b. At least two languages are known by every person in this room.


12.1a は,すべての人が異なる二つの言語を知っている,ことを表し, 12.1b は,ある特定の二つの言語がすべての人が知っている,ことを表す. その差は,数量詞の埋め込まれている関係という点に注意されたい. その"論理的な形式" を (非形式的ではあるが) 12.2a, 12.2b に示す.

12.2
a. Every person x in this room is such that [there are two languages y and z such that [x knows at least y and z]].
b. There are two languages y and z such that [every person x in this room is such that [x knows at least y and z]].


[Jackendoff (1977)]を含むほとんどの説明では,この違いに対する規則は, Well-formedness Rule であると仮定している. つまり,その関係が明らかに決定できる文法的な順序付けの法則があるとしている.
[Ioup (1975)]は,その仮定が間違いであることを示した. その関係は, 現在の文脈の中で現れる Preference Rule が何であるかによって 部分的に決定される. Ioup は重大な観測を提供し,重要な文献として位置するそれは, 二つの数量詞の含む文の曖昧性ということにおいて,しばしば参照される.

Preference Rule 1
同じ表層句構造の中に二つの数量詞が与えられたとき, 次のスケール上で,あるいは,階層上でより高い数量詞には, より広い範囲が割り当てられるように選好される.

each > every > all > most > many > several > some > a few

Preference Rule 2
同じ表層句構造の中に二つの数量詞が与えられたとき, 次に定義する,より顕著な表層的な位置にあるほうに, より広い範囲が割り当てられるように選好される.

階層における主題 > 深層でも表層でも主格であるもの > 深層か表層で主格であるが,両方ではないもの > 間接目的格 > 前置詞 > 直接目的格 >


Ioup は, これらの Preference Rule を広い範囲の言語で示した. PR1 については,翻訳して示し, 世界共通,普遍的なものであると主張した. さらに,構文的な位置の階層は, 他の目的に対してほとんど独立であり, 全体的に見て,この規則は,アドホックではないと主張した. とはいえ,Ioup は,これら二つの PR の相互作用について完全には研究していなかった. われわれはいろいろな強さの適用において,次のことを予期した.

Pragmatics
語用論

文の意味を文字通りの意味として受け取らないこと. 次の文を, 文字通りの意味で yes か no かを答えてみよう.

12.3
Can you pass the salt? (あなたは,塩を渡すことができますか?)
May I ask you to pass the salt? (私は,あなたに塩を渡すことをたずねるかもしれない?)
Would you mind passing the salt? (あなたは塩を渡すことを気に留めておいてくれますか?)
(すべて,「塩を取っていただけますか?」という意味.)


多くの語用論の法則は,Preference Rule の性質を持つ. [Grice (1975)] は,文の発話上の選好として 明確にされる 多くの"公理"によって明らかにした.

参考 Webpage: Grice の公理:
http://home.att.ne.jp/air/ayulin/pragmatics/pragmaticsmovie.htm
http://www2.ipcku.kansai-u.ac.jp/~tsujidai/closet/ma/1_2.htm
http://ipcres1.ipcku.kansai-u.ac.jp/~tsujidai/closet/5min/prg.htm


たとえば, である. これらは,話し手の公理であるが, 聞き手にとっても, 話し手の意図した意味をどのように解釈するか,という, 聞き手の解釈の処理に同じく適用できる. 12.4 に示す.

12.4 実際の系では,次の規則を加えなければならない.

12.5
Grice は, 多くの種類の特別な効果のための,話し手の公理違反を考察し, 公理違反をするのは,12.5 を override するときであり, このとき聞き手は,意図されたメッセージがなんであるのか,尤もらしいものを 構築しなければならない, とした. これを 会話の含み (conversational implicature) という.

"X はいい友だちである"という状況を仮定する.これを S とする.
聞き手が S を知っているところに,話し手は,S を聞き手に話す.
話し手は,「聞き手が『話し手が X のことを嫌いだということ』を知っている」,
ということを知っている.

という状況を考える. *例

もし,12.5 が守られているのならば,12.4b に違反している.
もし, であれば,話し手がうそをついている,というこの解釈は妥当かもしれない.
代わりの解釈として, 12.4b が守られていれば,12.5 に違反していることになり,それは皮肉である, という解釈がある.

12.4 と 12.5 の規則は,12.3 のような質問の発話を扱わない.
それを扱うためには,宣言のための 12.4b に対して並列に,要求における話し手の誠実さが検討できる ひとつの規則を導入しなければならない. 12.6 は,合理的な第一次近似である.

12.6
もし,12.3 が文字通りの意味であれば,規則 12.5 のとおりであり, 12.6 に違反し, 話し手は塩を必要としていないことを聞き手は確認でき, 発話は,情報の要求であるといえる.
12.3 の文字通りの読み方に対する違反が最小でありつつ,12.6 を満足する解釈は, 塩に対する要求であると読むことである.

これらの規則の相互作用は,音楽の Preference Rule の相互作用に類似している.

とはいえ,Grice の理論における主な違いは, (可能な意図された意味が選ばれることによって)出てくる構造の集合の, 形式的な特徴づけが欠乏していることである. そのような特徴づけは,音楽理論の Well-formedness Rule に対応する. 特に,文字通りの解釈が棄却されたときに,新しい解釈が選ばれるところがそうである. 音楽のための Preference Rule と Grice の語用論規則との類似性は, 語用論と,意味論,統語論,音韻論の大部分との間の 質的な違いを指摘する. 音楽文法の例は, 語用論規則と,言語学理論における他の規則のタイプとの間の違いを扱うための先例を 他の認知領域から,与えた. Grice の法則の扱いを開発した Bach と Harnish (1979, 8 章)の提案は, われわれがここで提案することと似てないわけではない.

Word Meanings
語の意味しているもの

語の意味するところの理論での基本的な問題のひとつは, 判断の背後の意図を明らかにすること,である. その判断は, 与えられた個(もの,人),または,カテゴリ(ものや人のクラス)が 与えられた語によって名づけられたカテゴリのインスタンスであるか,あるいは,そうでないか, という判断である. 名詞によって名づけられたカテゴリでは, これらの判断は,12.7 に示した形式の文の正しさの割り当ての形をとる.

12.7




12.7b, 12.7c のタイプの判断は,伴意性(entailment),解析性,などなどのほとんどの理論の基本である.
これら三つの文タイプは,語の意味の理論のための同じ問題を必ず与える, という根拠を,Jackendoff は示す.
12.8 に示したように,多くの判断は,不確かに行われる. 言語学意味論の権威は,不十分な科学知識,ファジー論理,言語レイバーによる分割, はこれらの不確かな推量に対しては,役に立たないとわかっている.

12.8
適切な語の意味理論は,そのような不確かな判断を許さなければならない.


Other Phenomena
他の現象

Preference Rule の特徴づけが観察される三つの他の領域を簡単に触れる. ひとつは音声の知覚 (phonetic perception)である.

[Liberman と Studert-Kennedy 1977]は, gray ship, gray chip, great ship, great chip のようなフレーズを区別する聴覚の Cue を, "trading relation" として書いている.
特に最初の語の母音の後の無音の長さ(0 〜 100 ms)と 摩擦音 "sh"(60 〜 180 ms)は,お互いの関連の中で評価されなければならない. この振る舞いは, 同様のやり方での stress と length の相互に作用する音楽における metrical weight の 割り当てに非常に類似している.

Prefernce Rule の概念が特に適切である,他の文法を用いる領域は, 文法の規則のための好まれる形は確定するが, ある特定の文法によって違反する,という markedness conventions の文である. markedness の法則は, 特に音韻論においてアピールされたが, 統語理論においては, 特徴的な marked-unmarked distinction がしばしば使用された. markedness convention のより一般的な形は, Chomsky によって提案された,文法のための evaluation metricである. evaluation metric は,Preference の集合を中に持っている. 非常に多くの可能性から,ひとつの文法を選び出す子を作動させる. その選択は,子が利用できる言語学的な証拠によって 水面下で決定される

最後は,構文解析戦略の理論である. 言語学研究の一部では,処理される文の構造について,"best guess する(最適だと推測する)" 経験的な戦略(heuristics)が頻繁に使用される.
選ばれうる,多くの可能な構造を決定するための, 構文的な,意味的な証拠が相互に作用するという方法で, Preference Rule 風な振る舞いが明らかに観測される.


12.3
A Deep Parallel Between Music and Language
音楽と言語との間の深並列性

この節では, time-span reduction を述べるために 5 章から 7 章において開発した形式化は, 言語学において prosodic structure (韻律構造)と呼ばれる形式化の, 記述可能なひとつの変形版である,ということを示す.
その関係を示したあとに, 関係が付随物かどうか,あるいは,原則による基本の上で, それは,rest かどうか,について自問する. この質問に答えるために,音韻構造の理論と time-span reduction 理論とを比較する. われわれの「まとめ」は, 「これらの理論が,実質的にではないが,形式において非常に関連している」, ということになるだろう. より一般的な認知の問題に対する,この並列性の暗示について, この節の最後のパートで議論する.

Prosodic Structure
韻律構造

音韻論では,伝統的に,言語の音のパターンは, 韻律セグメントの単なる線形な列に対して決定される,と仮定してきた. しかしこの仮定の下では,ストレス位置,ストレス従属,母音のハーモニー(トルコ語など), 音節構造,などの現象は,明確に扱うことが難しい. [Liberman (1975)],[Liberman and Prince (1977)] によって提案された prosodic tree structures (ときどき,metrical structure と呼ばれる) の理論は,これらの困難を乗り越えた.


それは, 音声表記文字列の組織化において 「二つの同時に起こること」,「独立して起こること」(形態素的(morphological),音節的(syllabic)) の二つの種類の組織化があること,そして,これらふたつは, 音声表記文字列から同じ方法で導くことができないということ,でよく知られている.
たとえば,originalityは,

形態素的には,origin + al + ity

音節的には,o + ri + gi + na + li + ty

となり,音節 nali は,形態素では,境界によって切れている. [Kahn (1976)] は,生成的音韻論において,音節構造の十分な理論を最初に与えた. [Chomsky and Halle (1968)] は,彼らの理論の中で音節の概念なしで,より成功するように 試みた.

多様な言語における語の stress の,規則による位置決定は, 音節型の中での違いを使った. これは,stress 規則が単なる音韻文字列,形態素構造 に対して適用すべきではなく,音節構造に適用すべきであることを示している.
さらに 語のそれぞれ二番目(あるいは,三番目)の syllable に stress が位置づけられる 言語が多く存在することは, これらの言語の音節は,より大きな単位の中で,自分自身だけで組織化される, ということを暗示している.この音節を feet と読んでいる.

[Liberman and Prince (1977)] によって開発された 木による記述法は, 音節の集合を feet へ,feet の集合を word へ表現する. 彼らの記述方では, 木のノードは,表層的な音節そのものか,強い枝(s),弱い枝(w)のどれかに従属する. 二つの英単語,
での例を 12.9 に示す. s, w は,相対的なストレスの度合いを表している.



[Chomsky and Halle (1968)] では,ストレスは次のように数値で表している.

[1 stress] > [2 stress] > [3 stress] ... [unstressed]
(数値が小さいほど強い)

主ストレスは,s ノードだけを通って音節に達する道筋である.
副ストレスは,s ノードを通って音節に達する道筋である.
ストレスの付かない音節は,w ノードだけを通って音節に達する道筋である. たとえば,副ストレスは,re, si, li である. contractualの主ストレスは,trac である. 木による表記は,ストレスを,明確な関係として相対的に表せる.

time-span reduction と韻律構造の初期的な比較を行う. time-span 木の head 対 elaboration は, 韻律構造の s と w に対応する.これを 12.10 に示す.



この等価性によって,韻律構造を time-span 木に変換できる. 12.11 に 12.9 の time-span 表記を示す.



似ていない現象を扱い,独立して開発された二つの理論が その分析を表現するための等価な表記法にたどり着いたことは, 興味深い一致である. 二つの表記法の等価性は, 二つの理論が取り組んでいる「直感」の間に類似性が存在することを 意味するのだろうか?
この疑問に答える第一歩として,time-span reduction と 韻律構造の木を決定する規則の体系を比較する. そしてそれらが,重要な形式的属性を共有していること, いくつかの属性は独立していることを示す.

Prosodic Segmentation Rules
韻律上での分割規則

time-span reduction の文法によく似た,音韻論版の文法は, [Selkirk (1978, 1980)] によって開発された. Selkirk は,規則を次のように明確に分けている. Selkirk は,syllable と feet は,韻律的なカテゴリとして, 明示的にマーキングされなければならないと論じた. それに加え,他の大きな韻律的なカテゴリ, の存在を論じた.
音韻的文字列の分割結果は,一部は,構文的構造と一致する. 12.12 に In Pakistan, Tuesday is a holiday の分割例を示す.これは,構文的構造と似ておらず, time-span 分割に似ているという点が重要である. 構文的構造では,構成要素の中に再帰的に構成要素を含むことがある (NP の中に PP を含み,その PP の中に NP が含まれる) が,これには,そういうことはない. つまり,word は,feet を含むかもしれないが, その feet に word が含まれることはない. すなわち階層は,layer (層) をなしているのである.



音節への分割の規則は, 近似的に次のようになる.
それぞれの言語において,音節には,音節 onset の特徴付けられたクラスがある. たとえば,英語の音節は, というクラスがある. 音節分割の基本法則は,音節の長さが最大になるような分割になること,である.
たとえば,Pakistanでは,st に音節 onset が許されるので,st の前で分割する. Teusday では,sd (発音では zd)に音節 onset が許されないので, s と d の間で音節分割する.



英語では,syllable から feet にまとめあげるときに,その内容に依存して, になる. その要因は,音節の母音の時制(tenseness), もしあれば音節の最後の子音の性質,である.

12.13 に例を示す. 12.13a は monosyllabic foot, 12.13b は bisyllabic foot, 12.13c は trisyllabic foot, 12.13d は,12.13b との対比のために示した bisyllabic word である. 12.13b との違いは,12.13d の 2 番目の音節には,secondary stress があることである.





英語における word の先頭の unstressed syllable の興味深い振る舞いの例として, を 12.14 に示す. われわれは,それらの扱いについて提案する.



先頭の syllable は,単に妙な syllable が word の先頭に付いたのではなく, extra foot level での先頭で rest としてのために付いている. われわれはこれを time-span segmantation における upbeat のように扱う. このようにすることで,segmentation rule は, 形式的な並列性ではなく,興味深い並列性を示すことができる.

次に,word への分割の階層を考える. 二つの word level のある, の例を 12.15 に示す.



しかし, multifoot word (複数の foot からなる word)が どのように構成されるかについての説明を,まだしていない.

Leberman と Prince に続く Selkirk は, 最右の二つの feet がひとつの segment にまとめられるとき, 次のレベルの segment では,word の左端境界までの feet を ひとつの segment にまとめあげる,とした.
たとえば,reconciliationの例を 12.16 に示す.


reconciliation (形態素だと rec-on-cil-i-a-tion,音節だと,re-con-ci-li-a-tion) <!-- <bgsound src="reconciliation.mp3" loop="0"> -->

[Vergnaud and Halle (1979)]では, 英語の word を feet で構成する規則は典型的なものである,とまとめている.
まとめあげが,左側の要素から始まって右側に向かっていく言語のいくつか の中での唯一の主な違いは, 英語の Rule とは鏡像的な Rule を持つ言語が存在することだけである. 7.1 節の最後に載せたように,強拍がサブグループの右端に現れる musical idiom (音楽的成句)がある. ([Becker and Becker (1979)]によって記述されたガムラン音楽)
異なる言語間にまたがる foot 形成の可能性は, 異なる idiom (成句) 間にまたがる subgroup の形成の可能性と並列性をなしている.


レコポデータ

韻律構造よりも大きなレベルについては,syllabie, feet, word に比べて あまり研究されていない.

ここまでの話をまとめる.
韻律的な階層は, time-span reduction のように, 表層の文字列を層化された階層へ分割することを基にしていることがわかる. それぞれの層(音楽においては,サブグループ,uncadenced グループ,cadenced グループ. 言語においては,syllable, feet, word など.) は,文字列をきっちり使い切るように分析する.
次では, 音韻論的な分割に関連付けられる,可能な木構造を定義する法則 に話を移す.

Prosodic Well-Formedness Rules
韻律での適格規則

分割の法則は, ひとつ小さいレベルでの segment をひとつ,あるいは,ふたつを直接に含む, それぞれのレベルのそれぞれの segment に対して適用する.
(これは,12.12 から 12.16 の構造を検査することで証明されるべきである).
分割を反映した木を構成することは,非常に簡単である.
最も小さい sengment は,枝の末端に割り当てられる.
segment x だけが,ひとつ大きいレベルに直接含まれる場合は, 木には何も起こらない.
もし sengmet x と y の両方が,ひとつ上のレベルのsegment z に直接含まれる場合は, 枝は,x と y に対応し,z に対応するひとつの枝に結合される.
二つの枝には,s(strong) か w(weak) のどちらかがラベル付けされる. この処理が,分割の最上位レベルにまで再帰的に行われれば, その結果は,12.9 に示したように,適格な(Well-formed)木となる. これは,time-span 木の構築と,正確に並列性がある. (同じである,ということ)

二つの木の表現している二分関係が厳密に並列性を持っていれば, 悪いことは何もない.
音楽の表層の中のイベント間の関係は,time-span reduction 木の中で headelaborationという関係で表現されている.すなわち, ひとつの枝は,ひとつのイベントである.
たとえば,楽曲を表す木の最上位で分岐している枝は, 楽曲の始まりの構造と,終わりの構造を表しており, 前半と後半の間の関係を表しているのではない.

これに対して,韻律構造の木での strongweakは, 韻律的な分割での segment 間の関係を表している. すなわち,枝は,syllable, foot, word などを表している. (音素そのものだけ(ひとつのイベントだけ)を表しているのではない!)

たとえば,12.9 のreconciliation の最上位の w と s は, recon--ciliationの関係を表している. (retion の関係ではない)



われわれは以下で, この二つの理論の違いが,本質的なものであるのか,あるいは, さらにより完全な並列性を得ることができるのか,を議論する.

これまでは, ある分割に対応する韻律的な木の可能な集合を単に構成してきた. それに加えて必要なものは, 確実なものするための,目立つ(prominence)ということの rule の集合である.
feet の中へ syllable の集まりという,より小さいlayer から議論を始める.
英語のための rule は,次のとおりである.

Prominence Rule 1

  1. 二つの syllable を直接に含む foot では,最初の(左の) syllable が strong である.
  2. ひとつの foot と,ひとつの syllable を直接に含む foot では,foot がstrong である.
12.13 から 12.14 に示した flounce, modest, pamela, attire, vanilla, America に対する結果を 12.17 に示す. main stress は,s ノードだけを通って syllable に達する枝であることを思い出して欲しい.



[Vergnaud と Halle (1979)] は,Rule 1a とは逆の rule, すなわち,二番目の(右の)syllable が strongとなる Rule を持つ言語の存在を示した.
Rule 1b が, foot がweakになるという Rule 1b と鏡像的になる Rule の存在は考えられるが, そのような Rule の経験的な必要性は,いまのところ,不明確である.


[Liberman ant Prince (1977)] による, 英語における,feet から word へのまとめあげの Rule は,次のとおりである.

Prominence Rule 2 (Lexical Category Prominence)
語彙カテゴリ内での strong ノード Rule

二つの feet を直接に含む segment では, 二つの feet が枝であれば, 二番目の(右側の) feet がstrongである.
gymnast, reconciliation, anecdote, anecdotal の結果を 12.18 に示す.
anecdote と anecdotal は,後ろに syllable alがついた場合を考えるためである. anecdotal では,doに stress が移動している.



word から,より大きな word へまとめあげるときにも,同じような Rule が働く.

Prominence Rule 3 (Compound Stress)
複合時の stress の Rule

二つの word を直接に含む word では, 二つの word が枝であれば, 二番目の(右の) word がstrongである.
この Rule は,Rorschach blotでは, Rorschachに main stress が, Rorschach ink-blot では,inkに main stress がくることを明らかにする.
この Rule は,syllable と feet の Rule に比べて精緻な Rule ではない.
たとえば,labor daylabor unionでは, 二つの syllable に枝がくる union の場合でも, labor に main stress がくる.



Rorschach (形態素だと Ror-schach) <!-- <bgsound src="rorschach.mp3" loop="0"> -->
余談: ロールシャッハテスト

Prominence Rule 4 (Nuclear Stress)
核となる stress の Rule

二つの音韻的なフレーズ,または,word を直接に含む音韻的フレーズでは, 二番目の(右の)要素が strong である.
この Rule は,three red hatsJohne ate Bill's peachのような フレーズの stress パターンを明らかにする.
これを 12.20 に示す.



音韻的フレーズのレベルでは, これら 4 つの Rule よりも,音楽構造の Rule に,より明らかに類似性を持つ Prominence Rule も存在する.これは,Liberman と Prince の Iambic Reversal(強弱逆転) の Rule で, 一般に Rhythm Rule と呼ばれている.
その働きは,ある特定の状況で,stress を左側に移すというものである.
例として,語として分離して話したときに, 最も強い stress が最後の syllable にあるthirteenTenessee を挙げる. これらは,thirteen manTenessee airとしたときには, 最も強い stress は,最初の syllable にある. Liberman と Prince は, metrical structure が音楽的な metrical structure 関連していないわけではないという観点による Rule で説明している.
Rhythm Rule の背後にある一般的な考えは, 比較的重い stress は,比較的強い拍に対応し, 比較的弱い stress は,比較的弱い拍に対応するという, 言語的フレーズの stress は階層的な metrical パターンを形作る, ということである.
この考えによるもののひとつに, 比較的強い拍と比較的弱い拍は,交互に現れる,ということがある. 比較的強い二つの拍は,お互いに隣り合わないことが好まれる.
thirteenにman,Tenesseeairを並べると, 最も強い stress が二番目の語に, 次に強い stress が最初の語の最後の syllable に来てしまう.
Rhythm Rule は,この状況下で,最初の語の最も強い w と s を入れ替える.
12.21a と 12.21b は,語が独立しているときの stress パターンが書かれている. 12.21c と 12.21d は,それぞれに Rhythm Rule を適用した結果である.




形式が異なるにも関わらず, metrical structure を time-span reduction に関連付けた Rule と この Rule が類似していることは明らかである. (MPR9, TSRPR1, 特に TSRPR5)



音楽と言語との主だった違いは, 音楽イベントは,ひとつに固定され,その周辺で組織化されること, 規則的な metrical strucrute は,全体に渡って維持されなければならないことであり, それに対して言語は, リズムに柔軟性があり,ある特定のパターンに合わせることが要求されない.

これらは,部分的に修正されるかもしれない.
レチタティーボにおいて, MWFR3, 4 がなくなることによって, 固定された拍というものが捨てられ, 話し言葉のリズムに見られるように, より柔軟になるかもしれない.
http://www.musicabona.com/catalog4/463591-2.html
http://www.din.or.jp/~tn123/kurai.html


詩において, 固定された metrical パターンというものが 言語的 stress に対応するように強いられるかもしれない. (MWFR3,4) [Halle and Keyser (1971)], [Kiparsky (1977)]

上に述べたように, prominence を metrical structure に関連付けた関係は, 音楽と言語において根本的に同じである,とまとめられる.
問題とされる, 音楽における Preference Rule と韻律論での Rhythm Rule との間の違いは, 音楽と言語の間での 異なる metrical practice(拍のつけかた) の機能である.

Some Discrepancies
いくつかの不一致

さらなくまとめを行う前に, 二つの理論の形式的な違いを考察すべきであり, 違いがどのように軽減されるかを議論するべきである.

まず最初に, 木による表記法が等価であることが動機付けとなった二つの理論の並列性であるが, 二つの表記法は,表現力の点で本質的に異なる.
7.2 節で,time-span の head と,その中のイベントとの間から得られる, 他の三つの関係を示した.



これらの三つの関係において,韻律の理論は,音楽の理論と等価ではない.
したがって,二つの理論に対して,単一の表記法を採用するという要望があれば, time-span の表記法を採用するほうが妥当であろう.


第二に, 二つの理論の形式的な違いは, 多数に枝分かれすることの考慮である.
time-span 理論においては, ほとんど枝分かれは,二分木であるとして論じてきた.
しかし,triple meter では(たとえば,モーツアルトの K.331 の 6/8 拍子), ある特定のサブグループのレベルで,三分木が現れる.


他方で,韻律の理論では, 厳格に二分木によって形作られる. もし,foot が二つ以上の syllable を含むときは,再帰的な二分木が結果として作られる.
12.22b ではなく,12.22a が作られる.
これは,言語と音楽との間の本質的な違いなのだろうか, 単に二つの理論の違いなのだろうか.



韻律の理論における再帰的な二分木は, 多数に枝分かれする木に等価に書き換えることは,できない.
副次的な stress の相対的な度合いの割り当てが, 重要な機能を果たしている.[Liberman and Prince (1977)]. 3.4 節と 3.5 節で, Liberman と Prince は,副次的な stress は, metrical structure が変わりに(あるいは,付加的に)参照されることによって割り当てられる, とほのめかした. したがって,厳格に二分するという制限の基での韻律 segmentation と木の形成は, 説明的な値は期待できないかもしれない. (木の形成以外で,副次的な stress 割り当てを行うということ?)

他方で,time-span 木においては, 厳格な二分木のための潜在的な位置の調節がある. ternary meter の関係があるところで 三分木が作られるような,サブグループのレベルにおいて, しばしば付加的な分割(2+1(二分音符 + 四分音符),1+2(四分音符 + 二分音符)) が存在する. (典型的な "oom-pah-pah" 伴奏が,特別な後者の場合と考えられる)

結局のところ, 韻律の理論と time-span 理論との間の違いは, 相容れないこと,あるいは,とりたてて重大なこと であるようには思われない.

もっと重要な違いは,time-span 木と韻律理論での木の解釈である.
time-span 木のあるレベルでの枝は, その枝によって elaborate された,ひとつの音高イベントである.
しかし,韻律理論での木では, 枝は,強い部分も弱い部分もすべてを含んだ韻律の構成要素全体である.
もし,木が,そのように異なって解釈されれば, 理論は本当に並列性がありうるのだろうか?

二つの解釈の対比は, 音楽における metrical アクセントの二つの解釈の対比に, つながらなくもない.
ひとつの見方は, metrical weight は,time-span の属性,すなわち duration をもった metrical weight である [Cooper and Meyer (1960)] という見方である.
それに対して,われわれは, metrical weight は,time-span の属性ではなく, (ある時点での)beat の属性である,という見方を示した.
"strong" time-span の副次的な要素は,"weak" time-span の副次的な要素よりも強くない. たとえば,4/4 拍子で,第 2 拍は,第 4 拍よりも重く受け取れない.

同じことが time-span reduction にも適用できる. つまり, 他の time-span に対する相対的な強さは, time-span 全体からではなく,head から与えられる.
したがって,韻律理論に合わせた time-span 木の解釈の変更は, 事実に反したものとなりうる.

一見したところ, 韻律的な文字列を音楽的な文字列のように reduction すると奇妙に思われる. たとえば,reconciliationは,re--ci--aとなり,次は,re--a となり,最終的には,main stress のあるaだけになる. これは,形態素的,構文的,意味的に, ほとんど理解できない.
しかし,われわれは,言語学的表現の韻律のレベルにおいて, 言語的な情報を扱う対象としているのではなく, 知覚的,運動的な組織化を扱うのである. 韻律的な文字列が知覚される方法の確認として, 韻律を reduction することを考えることは,無理なことではない. 相対的に強い syllable を扱えるだろう. もし,この考えがもっともらしい見方であれば, 音楽と言語の間の並列性は,いまだ深いものである.

General Implications
一般的に暗示されていること

上で議論してきた相違点がどのように解決されるにせよ, time-span reduction と韻律構造の理論との間の類似点は, 音楽と言語との間の重要な類似点となるように思われる.
その説得力は,音楽と言語との間の表面的なアナロジーからよりもむしろ, 提案した文法の抽象的な概形の点対点の対応関係から浮かび上がる.
構文構造と音楽構造との間の類似点は,調査研究の実りある指針となることは証明されていないが, 大きな力となることはわかる.
構文的な木と音楽的な木との間の相違点は,5.3 節で議論したように, そのような文法的な比較が非常に大きすぎて,意味のあるものになりえない.

そのような並列性は,なぜ,あるべきなのだろうか?

双方の理論は,人間の認識の能力を説明するための仮定(attempt)を与え, それらの並列性の存在は, 人間の音楽の能力と言語の能力に重なりがある,ということを暗示する. いいかえれば,それらの構造の組織化に対して,いくつかの同じ法則を用いている.

もし,これが真実であれば, 音楽と言語は,非常に構造化された人間の能力であることに驚く.
われわれは head elaboration の,構造化された明確に表現された表記法が, 時間的な組織化の心理学的な理論における「目立つこと」を説明することを 期待するべきである.

この仮定に対する暗に示された証拠は,[Lasher (1978)] が見出した, バレエのステップである.
バレエのステップのひとつのシーケンスは, 予備的な動きがそれぞれに先行した, 主要な動き(パのこと?)の, ひとつのシーケンス(アンシェヌマンのこと?)として, いつも決まったように解釈される.
そのような記述は,time-span reduction 法則の変形版としてわかりやすいように思われる.
主要な動きが segment の head として, 予備的な動きが segment の elabration として与えられる.
この記述は, 特別扱いした head の状態を, それぞれの "chunk" のひとつの要素としたことに一致するので, "chunking"の観点だけによる説明よりも, どのように,より高度に構造化されているかということに注意したい.

余談: 確率連鎖モデルを用いたアンシェヌマンの自動生成の研究

われわれの主張したい点は, 韻律の構造と音楽の構造との類似点は,他の時間的な構造化された認識能力の説明 へのアプローチのための"測量点" として使いうる,ということである.

12.4
A Remark on Brain Localization
脳の機能局在化についてのひとつの所見

何人かの読者は, 音楽と韻律との間の並列性が, 脳の機能局在化の証拠としてどのように振る舞うのだろうか, と尋ねるかもしれない.
右利きの人においては,脳の左半球は言語的な機能を専門に行い, 右半球は音楽的な知覚が暗示される,ということでよく知られている.
[Bever and Chiarello (1974)]は, 音楽的な経験が不足している聴取者は, あるメロディ知覚のタスクに対して右半球が支配的であり, 経験豊富な聴取者は, 左半球が支配的である,と報告した. それゆえ, 音楽的に洗練されている場合は, 神経的に共存している部分があるとし, 左半球の機能と呼ばれる, より分析的であり,全体論的なことが少なく, あるいは,Gestalt 的な処理であるという 音楽的な理解力に対する異なった戦略の使用を許している, と彼らは主張した.

この証拠が与えられたことにより, time-span reduction と韻律との並列性は,次のように説明されるべきであると, まとめられた.
time-span reduction は, 音楽の知覚における分析的な働きである. それゆえに,それは,音楽的に経験豊富な聴取者に限定される. そしてそれは,たぶん韻律の機能と同じ場所である脳の左半球における機能局在化である, と.
われわれは,そのような結論は,次の二つの理由で,早計であると考えた.

第一に, われわれは, 一般に"分析的"な処理と"全体的"な処理との間は二分される, という問題を取り上げなければならない. それは, 音楽の認識のあらゆる概形は, 局所的な根拠と大局的な根拠の 入り組みを歌うことにおける混ざったものを含んでいる, という現在の研究から明らかにされるべきである. "Gestalt"属性の知覚は,大量の分析的処理を必要とする. 逆もしかりである. 音楽的な根拠は, これらの指針にしたがった大脳半球の機能の間の相違のはっきりした分割をすることは, 考えていたよりも難しい,ということを暗示している.
生理学的な機能は, 心理学的な機能に関連して生じるものよりも より局在化しうる,ということは期待しない.

第二に, われわれが仮定している分析的な構造は, 経験豊富な聴取者に限定されていないことを,繰り返し強調している. ほとんど音楽的な経験が不足している聴取者でさえ, 音楽をグループとして聴く. そして彼らは, 音楽に対して,foot-tapping する場所がわかるので, 彼らは,metrical structure 割り当てた. さらに, 歌を歌うことにおける子供の間違いのわれわれの感じたことと, フォークソングの部分的な変更のわれわれの感じたことは, 彼らは, reduciton strucsture の意図(直感)を明らかにする, ということである. 典型的なものとして, 重要でない音高は, 構造的な骨組みが損なわれずに残るように, 省かれる,あるいは,変えられる,ように思われる.
それゆえ,われわれは, どのようにして,複雑で,相反する構造を彼らが扱えるのか, 聴取者の間の違いを考慮する. これは, 音楽的な経験豊富さが大脳の両半球における利点 が関連しているという, Bever の評定(1980, p.206.どれ?)と一致する.

このような, 大脳半球の機能局在化の研究と, reduction と音韻論の並列性との間の直接的なつながりを取り出すことは, われわれは,気が乗らない. しかしながら, われわれの前節における推測は, reduction structure のいくつかの形式は, 時間的なことをパターン化することにおいて,より一般的な要素である, ということを与え,そして, 脳の機能局在化についての二つの異なった仮定 を予見する. 第一に, reduction structure を含んだ すべての機能が, 脳の同じ部位に局在化している 可能性である. 計算機用語でいうと, これは, reduction は,多様な処理が参照する "parametarized subroutine"である, という主張に達する.
もう一方は, 並列性は, 新しい機能を開発することにおいて保守的傾向が適当でありうる, ということである. すなわち,reduction のような構造は, 多くの異なった理解力の一部として現れ, 異なって局在化されうる. 計算機的に言うと, これは, 供給される異なった機能に, 必須の同じルーチンの多くのコピーが与えられるのだ,ということに似ている. われわれは, これらの他の二つを見極めるための位置にはいない. しかしながら, われわれは, time-span reduction の文法と 韻律構造の文法との間の並列性は, 心的な処理,神経学的な処理の一般的な理論への興味深い挑戦を与える,と考える.

12.5
Music Theory as a Cognitive Science
認知科学としての音楽理論

近年の,"cognitive science"と呼ばれる複合研究分野(学際領域)は, 心理学,言語学,神経生理学,哲学,コンピュータサイエンスの 分野から外に現れてきた. その名前が暗示しているように, この研究分野は, 人間と他の生物の認識能力の特徴付けることを考察している. おそらく,非常に重要な目標は, 心的な表現の性質を理解すること,である. 現在の研究が そのような研究計画と一致する目標である限り, われわれは,cognitive science のひとつの研究として,音楽理論を主張する.

音楽理論に対するわれわれのアプローチは, 記憶容量,リアルタイム処理,脳の機能局在化,などを 考慮していない. われわれは, 音楽構造についての聴取者の意図(音楽における心的な表現)の形式的な特徴付けをすること, と自分自身に制限を課している. 理論は,完全なものからは遠い,とはいえ, グルーピングについてとても初心者的な聴取者から prolongational structure を含んだ,非常に経験豊富な聴取者までの, 音楽の意図の広い範囲を説明するために 十分に詳細化され, 十分に明文化されている. cognitive science としての音楽理論を正当化するために十分である.

よく知られている何かについての人間の振る舞いの他の概形と同じであるように 音楽的な認識能力は何も持たない場合があることが考えられるとはいえ, この章は 音楽理論は, 非常によく広範にわたって研究されている 二つの他の能力(視覚的知覚,言語)の間の架け橋となり始めること を示した. さらに, time-span reduciton と 韻律構造との間の強い並列性は, 時間に関することのパターン化のより一般的な理論のための開始点を与えるようである. そのような強い印象を与える方法で 視覚の理論と言語の理論によって基礎に触れることをなんとかなしとげたわれわれの研究は, それ自身の中で われわれのアプローチにおける理想化の暗示の弁明である.

このように,音楽の理論は, cognitive science の 好奇心探求側に手段がないことによる. われわれは, 心についてのより基本的な理論のための中心的な根拠を, 音楽の理論が与えると信じている